揺らぐ残り火、どうかここに


毎朝、欠かさずに「スカーレット」観ています。

この朝ドラ、「陶芸家として活躍するヒロイン」が
一体どう描かれるのかってことだと思ってたのに、
陶芸家になる・ならない、という話ではなくて
川原喜美子という1人の女性について、ひたすら
丁寧に描写されていて、「そうくるのか!」と
毎朝、良い意味で予想の斜め上で素晴らしいです。

ヒロイン・喜美子の、好きなこと、やりたいことに
蓋をせざるを得ない事態の数々。自分と重なる部分が
多々あり、正直観ていて辛い。重たいと思う日もある。

SNSでも「朝から容赦ない」「エグい」といった感想を
よく見かけるのだけれど、その容赦なさ、エグさって、
現実でもあり得ることで、だからこそそう思うわけで。

ドラマを見るときって、ものにもよりますが、
「せめてドラマの世界ではこうであってほしい」的な、
期待というか、理想を求める部分ってあると思うんだ。
だけど、スカーレットはそうはいかない。させない。
容赦ない現実を容赦なく突きつけてくるリアリティ。

絵を学ぶことや、陶芸家を目指すこと自体は
それほど「ありがち」ではないかもしれないけど。
もっと根底の「生きること」という、視聴者と共通した
「リアル」がこれでもかと畳みかけるように描かれて。
私個人的には、「考えさせられる」を越えて、
少々観るのが辛かったりしている。

喜美ちゃんは、最初にやりたかった道を絶たれても、
置かれた状況で「やりたいもの」「興味」に出会う。

一方、今の私にはそれがない。次にやりたいものも、
これを生きがいにしたい!と思えるものも。
一度諦めたら、それっきりなのだ。試合終了なのだ。

生活のため「だけ」に働くって、驚くほどつまらない。
やりたいことで生きていける人などほんのひと握りだし
「しようがない、割り切るしかない」と言われたら、
ご最も、としか返しようがない。当たり前だ。
同じような思いを抱えて生活している人も、
この地球上にごまんといるのかもしれない。

けれど、私はこんな状態で、例えば結婚、みたいな
「なんとなく人並なこと」したくないし、できないし。
ましてや、自分のためにすら禄に生きられないままに
人の親になることなど、もっと考えられないのである。

「やりたいこと」を新しく見つけることもできない。
というか、見つける気がないのかも。
また、諦めることが怖くて、そうしないのかな。
逃げてる私、超ダサい。
スーパーダサい。

とまぁ、そういう、
「きちんと自分と向き合えや!オラオラ」と
迫ってくる、こわい、こわい、朝ドラです。

☕️ 🥞 ☕️

そんな中で、大野さん一家。

一言で言うならば「あったかい」。
そんな匂いの、温度の、大野さん一家。
陽子さん(おぉちゃんも!)の、陽だまりのような
あたたかさに、こちらまで救われる…。

容赦ない現実を突き付けてくる一方で、
見てくれている人はいるんだという安心感。
心の拠り所みたいな。カフェに改装したのも大納得。
ぴったりだよね…。あぁー癒し。いやしのおおのさん。

私にとって、ざいぜんさんも、極私的に、
勝手に、そんな存在だったりする。
ずっとブレなくて、そこに居てくれて、あたたかくて。
だけど、
今の私は推しに合わせる顔がない。情けないけど。
ざいぜんさんの眩しさに、
きっと半径100mまでしか近寄れないだろうし、
しづきさんのストイックなパワーも、
きっと直視できない。
だから、しづきさんのステージを観に行くのも
意図的に避けてる部分があるのは否めない。

そんな自分が情けなくて、悔しくて、嫌すぎる。
どうしても脱したい。抜け出したいのに。
あぁー、いまの私、超ダサい。
スーパーダサい。
ウルトラダサい。

スカーレットは最後まで観届けるつもりだけれど、
今の私のファン活、ただ現実から逃げてるみたい。

コメント

人気の投稿